フリーキャスター 伊藤絢さん
カテゴリ: インタビュー 2009 年 4 月 1 日
テレビキャスターの経験を持つフリーアナウンサー伊藤絢さん。
6年ほどのお付き合いになるのだけれど
最初見たときあまりにもキレイで思わず同性なのに見とれてしまったほど。
オシャレが大好きで、美意識に対する関心は本人いわく「執念」と言うくらい。
ジェルネイルまでどんなネイルも自分で仕上げている。
また、エクステまつげも自身で。
基礎化粧品へのこだわりから、6月に「キレイセミナー」(ミティーク化粧品プレゼンツ・おしゃべりBOX後援)でトータルビューティーアドバイザーとして講演もすることが決まった。
絢さん、ありがとう。引き受けてくれて!!
私と同じように一度も就職せず、夢に向かって走り続けてきた絢さんに、お話を聞いた。
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短大卒業後、アナウンス学院に通うことになった。
「就職活動なんて本当に一度もしたことがなかったの。というより、まったく就職するということを考えなかったんだよね。でも、昔からなりたかったアナウンサーの夢はずっとどこかにあったんだと思う」
中学・高校は放送局の局長をつとめ、お昼の放送では毎日アナウンサーをしていた。
アナウンサーに挑戦してみよう。
そう思って目に留まったのがアナウンス学院だった。
「アナウンサーの世界のことを何も知らなかったのね。だから、どうすればレポーターができるのか、どうすればテレビでしゃべることができるのかを知りたくて通うことに決めたの」
基礎練習、発声練習、ブライダル、イベントなどあらゆるアナウンス方法を2年かけて学んだ。
「一緒に学んでいた仲間が30人くらいいたんだけれど、プロとして今でも活動しているのは私を入れて3人。厳しい世界。花が開くまで待つ根気があるかないか。5年以上花が開かないままのひとも大勢いるから」
2年勉強し、プロテストを受けて合格。
MCとして大手アナウンス事務所に所属することが決まった。
「誰もいない会場でアナウンスをしたこともあったし、地方のお祭りイベントの仕事も多くしてきて、下積み時代も長かった。何をしているだろうって思うこともあったりね。お金だって本当に少なかったし」
プライドがあった。
だから、すごく悔しい仕事もたくさんあった。
むなしい思いもした。
やりたくない仕事も、断ってしまいたくなる仕事も多くあったけれど、それでも、絶対に引き受けてやってきた。
そんな中、当時の外務大臣が来札。セミナーの司会がまわってきた。
それから少しずつ少しずつ大きな仕事ができるようになり、プロとしてデビューしてから2年目で大チャンスが訪れた。
「JR北海道のインフォメーションに合格して、テレビに出て話すという夢が叶ったの。STVラジオとNHKのラジオ、UHBとNHKにはテレビで情報を伝えるという仕事をして、本当に素晴らしい仲間との出会いもあったよ」
社内ビデオのレポータもさせてもらえることになった。レポータデビューだ。
また、会社で働くということも初めて経験したことだった。
「契約社員になるので、平日と土曜日がシフト制で新聞を切り抜いたり、ニュースを調べたり、書類整理や清掃などの仕事もした」
インフォメーションの仕事の合間に旭川でブライダルMCとしてもデビューできた。
実は、絢さんを誘って一緒にやらないかと声をかけてのは私だった。
2人で旭川まで一緒に行って勉強したことを懐かしく思う。
「仕事が順調になって、さて、これから!というときに、今の主人が大阪に転勤することになって、付いてきてくれって。すごく恨んだ(笑)ひとりで行ってきてって言っちゃったくらい」
当時彼だった今の旦那さんは、スポーツ整形外科の医師。
彼に付いて行くことになったが、納得いかないまま大阪に着いた。
大阪に来ても仲間もいない。知り合いすらいない。
仕事もゼロになった。
そして、彼にこう言われた。
「なんで自分で事務所を探したりしないの?インターネットで探せばいくらでも見つかるでしょ?やりたいことは自分の手で叶えていかないとダメだんだ。チャンスだと思って見付けてごらんよ」
いつも彼のことばでハッと気づかされる。
だから彼に付いてきたんだと思った。そして言うとおりに動いてみた。
ナレコン事務所2カ所に登録し、少しずつ少しずつ仕事が入ってくるようになった。
そんな中で大阪ビジネスショーのナレコン最中、大きなミスをしてしまった。
膨大な原稿を丸暗記したが、頭の中が真っ白になった。言葉が出てこなくなった。
そして、クビになった。
「すごくすごく努力したのに覚え切れなかった。北海道ではナレコンなんてなかなかないじゃない。すごいひとはタウンページくらいの原稿でもあっという間に覚えちゃう。悔しくて悲しくて。でもやっぱり話したいっていう気持ちは変わらなかったの」
ナレコンの仕事はこなくなったが、カネボウのイベントの司会が入ってきた。
カネボウのCMに出ている女優たちが一同に会場に集まった。
一際輝いていたのは藤原紀香さんだったという。
ナレコン事務所をやめ、メディアに強いといわれる事務所に面接に行った。
合格し、登録させてもらえることになった。
元局アナや、超有名タレントも数多く在籍する事務所だった。
気が滅入りそうになりながらも、チャンスがくるのをとにかく待った。
大阪に来て2年目。
念願だったテレビキャスターという大きな大きな仕事が決まった。
「オーディション100回くらい受けてきたと思うけど、すべて落ちてきた。いつもオーディションや面接でダメで。面接で落ち続けることで何がダメでどうしたらいいのかってことがわかるようになって。だからキャスターのオーディションで合格できたんだと思う」
・テレビ和歌山「きのくに21」キャスター
・高槻ケーブルネットワーク「おはようTCN」「街かどホットライン」キャスター
・J-COM関西「Home Town」キャスター
なんと、4つの番組キャスターのレギュラーに合格!自分で原稿を作り、取材にも行き、時間配分までこなしてきた。
「JRの仕事がすごく役立ったの。レギュラー4本、準レギュラー最大のときは4本抱えて、毎日毎日本当に忙しくできていたのね」
大阪が大好きになり、大阪の魅力もわかって、仕事も順調で楽しくなってきた頃、札幌に戻ることになったと彼から言われる。
「また、あなたひとりで戻ってって言ったの。もう、いつもすごくいいときに離れるなんて・・・。そして、彼から突然のプロポーズ」
実は、結婚願望はまったくなかった。わざわざ結婚しなくたって、ずっと一緒に居られるならいいと思っていた。
6年ほど付き合ってきて彼以上のひとはいないと確信し、結婚することに決めた。
「お料理も全然作らなかったし、興味もなかったんだけど、彼が褒め上手で。気づいたら料理好きになっていて。料理教室にまで通って作るようになっちゃった(笑)」
大阪ではグルメレポーターもたくさんできた。
川に入ったり、山にも登ったり、素晴らしい多くの経験を大阪で積んだ。
友達もたくさんできて、最後の仕事の日は、自然に涙がこぼれてきた。
「夢を叶えられたのは大阪に行ってから。そして、いつも背中を押してくれるのは主人。積極的に自分から動けない私をぐいぐい誘って連れて行ってくれる夕香ちゃんにも感謝しています」
今は、札幌で、HBCラジオで月に何度かショッピングコーナーで話し、ブライダルMCとして活躍している。
トークショーやイベントのMCとしても仕事が入ってくるようになった。
「何でも、いつでもチャンスなんだよね。自分でプラスに変えていけばいいんだなって思ったよ。札幌でまた頑張る!ビューティーアドバイザーとして講演が決まったから、もっと勉強してみるね!」
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6月4日「キレイセミナー」開催です!
場所は、厚生年金会館1階。
詳しくは来月発行されるおしゃべりBOXをご覧ください!
ミティーク化粧品主催、おしゃべりBOX後援。
キレイセミナーでは3人のステキな女性講師が登場!
司会進行は青山千景。
ワンコインセミナーもあります!夕飯つき、ワンドリンクつきで入場料2.500円ですが、おしゃべりBOXを持ってくれた方は2.000円に。
総合プロデュースは、私、青山夕香!
裏方ですが、CDデビューイベントを兼ねて数曲歌います。
是非遊びに来てくださいね!!















