夕香のココだけの話


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夕香のココだけの話

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行政書士 成田眞利子さん

NARITA国際法務行政書士事務所
行政書士 成田眞利子さん。

 

 

 

 

私も所属している北海学園大学の同窓会幹事の先輩だ。

 

初めてお会いしたとき、とっても魅力的でついつい話しかけてしまった。

 

北海学園大学の先輩に「女性の働き方」について教えてもらった。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

高校卒業後、自衛官(陸上自衛隊)になる。

タイピストとして書類を作ったり、総務の仕事をしたりしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自衛官になって2年目のこと。

 

「一度は挫折しましたが、やっぱり大学に行きたいなって思ったんです。もっと学びたいと。それで北海学園大学法学部の2部に入学しました」

 

昼間は自衛官。

夕方から大学に通い、大学から帰ると宿舎にある自習室で消灯時間後にも勉強した。

 

大学在学2年目、行政書士の試験に合格。

 

「時間やチャンスがあったらとりあえず何か見つけてやりたいんです。やれることは全部やりたい!できるチャンスがあるならやってみたほうがいいじゃない」

 

 

働きながら大学に通い、国家資格まで1発合格できるパワーはどこからくるんだろう。

 

 

「行政書士の試験と並行して、職場の昇進試験もあったんです。ペーパーテストだけじゃなく、体力テストや実技試験もあったんですね。職場や仲間の支えもあって三等陸曹に昇任することができました」

 

東京で研修も受けたが、思うところがあって自衛官を辞めることを決意した。

 

「丸4年自衛官という仕事をしました。大変貴重な経験が出来ました。」

 

 

その後、北海学園大学法学部の判例実習室で臨時職員として勤務。

その中で結婚し、出産も経験した。

 

「当時出産後の復職は例がなかったんです。出産後1カ月で復帰したんですが、それはもう本当に大変で。まず体力がないからフラフラなんですよ。でも受け入れてくださった大学には本当に感謝でしたね」

 

 

動いていないと自分じゃない。

 

働いていたい。必要とされる職場で働きたい。

 

 

臨時職員として4年勤務し、判例の見つけ方や調べ方を学んだ。

 

「大学に通ったことで臨時職員という仕事もさせていただきましたし、今でも仲良くしている仲間もできました。また、仕事仲間として付き合っている友達も数多くいます。」

 

数年は専業主婦として家事や育児に時間を割いた。

でもやっぱり何かぽっかり穴が開いたようだった。

 

 

民間の建設会社とのご縁があり、行政機関や官公庁を中心とする営業をすることになった。

毎日毎日担当者に挨拶をしに行くような感覚で足を運んだ。

 

「振り返ってみると、男性社会を転々としてきましたね」

 

自衛官では、男性と一緒に訓練や試験を受けた。

 

判例実習室では、教授や学生(当時は大半が男子学生)の要望に答えるべく膨大な資料の中から判例や書類を見つけた。

 

建設業の営業職はほとんどが男性で、女性は珍しい存在だった。

 

「仕事で行政機関の営業まわりをしていたので、行政に対して堅苦しさとか、入りづらいとかっていう感覚がないんですね。行政書士として仕事をする上で今までのすべての仕事が活きています」

 

 

年齢の壁にぶちあたった30代半ば、行政書士の資格を思い出した。

 

小学生だった息子に「人生は1回だよ!やってみれば」と背中を押され、開業を決意。

 

37歳で登録し、行政書士として仕事をすることになった。

 

「悩んでいても仕方がないなって、まずはやってみようと思いました。今年で13年目。小さな机と椅子、電話とファックス、カラーボックスからスタートしました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国際法務行政書士事務所として、外国から日本に来て働くための在留資格認定証明書交付申請の書類作成や

 

日本での留学から就労等への在留資格変更申請や在留期間更新申請に関る書類作成の仕事をしている。

 

 

日本のみならず海外からもメールがきたり、相談依頼がくる。

 

仕事や研修で台湾、香港、ロシア、パリ、ソウルにも行った。近々、フィリピン訪問の予定もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひとつの書類を作るためにその国の歴史・文化を含め勉強をしなければいけません。ひとつの仕事に集中するために他の業務をストップして勉強したこともあります。夢の中にまで出てきたりもしました。書類作成から1年かかって認定された案件もありましたね」

 

 

不可能だとみんなから言われる難しい仕事だからこそ燃える。

 

自分にしかできないことだから頑張れる。

 

「できないと言われれば言われるほどやる気になるんです。それは私を応援してくれる周りの支えがあって助けて下さるひとがいるからできることだと思います」

 

たった1度だけ事務所をしめようかと思ったこともあった。

 

次々にくる依頼のお陰で、頼ってくれるお客様のお陰で救われたこともあった。

 

情報収集するためには海も渡る。外国にも飛んでいく。

 

「新しいことを学び、新しいことを次々に得ていかなければいけません。わくわくしながら仕事をしています。すごくあり難い環境です。今までの仕事が全部活きています」

 

 

夢は今よりももっと海外に行って仕事をすること。

 

プライベートの夢は車の競技者ライセンスを取ること。まずは、国内B級のライセンスから。

 

本も書きたい。エッセイなどの執筆活動もしていきたい。

 

 

やれることに制限をかけなければ、自分でセーブしなければどんな道も切り開けるということを、先輩から学びました。

広告代理店勤務 池城亮太くん

広告代理店で、企業のPR業務担当の池城亮太くん

 

 

 

 

彼との出会いは、彼が大学3年のときに北星学園大学で行われた

実践話力講座に来てくれたことがきっかけだ。

 

ギターもベースもシンガーとしてもプロ並で、作詞作曲もできる。

働きながらバンド活動も行い、何度か生演奏を聞かせてもらった。

 

学生時代は塾で教えていたこともあって、スピーチ力で彼を上回る学生にはまだ会ったことはない。

 

みんなを盛り上げることが大好きで、いつもみんなの中心で輝く池城くんこと

キャッシー(城=キャッスルからあだ名がついたらしい)に話を聞いた。

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

北星学園大学を卒業後、大手生命保険会社に就職。

仕事内容より条件優先で決めた。

 

 

そして3日で辞めた。

 

 

「3日ですよ(笑)自分でもびっくりでした。実力主義の会社で20代半ばのひとが40代の社員さんに『おっさん、邪魔だよ』って普通に言うんですね。職位が上だとしても人生の先輩に対してその姿勢はないなと思いましたね」

 

理由はまだある。

そんな職場だからお客様に対する考え方にも疑問だらけだった。

 

これ以上だましたくはなかった。

自分をだますことも嫌になった。

 

 

辞めるのなら早いうちがいい。

もう少しきちんと考えて就職すればよかったと反省した。

 

「優先順位をきちんと決めておくことがいかに大事かわかりました。仕事内容より条件で選びましたが、それじゃ続かないんだなって」

 

正社員になれることを条件にアパレルの仕事をすることにした。

 

「ちょっと話があるって店長に呼ばれたので、そろそろ正社員になれるんだろうって思ったんですよね。そうしたらひとが余っているから辞めて欲しいと言われました。君は若いからまだ色々できるだろうって。ショックでしたね」

 

頑張ろうと思った矢先だった。

 

 

今度はクビになった。

 

 

働きたいという思いは強かったが、希望するところがなかなか見つからない。

 

「ニートって言うんですかね。3カ月くらい就職活動していました。貯金を切り崩して生活して実家にあった洋服を売って食費にあてました」

 

関東の有名なインテリアショプが北海道第一号店ということで求人が出ていた。

 

「オープニングスタッフとして採用されたんです。東京で研修がありました。本社命令でインテリアの部署ではなく、本社配属になったんです」

 

本社で広告代理部の、イベント担当のスタッフとして仕事をすることになる。

 

「色々なチケット会社と組んでライブを開催したり、人材会社にお願いしてアルバイトスタッフを集めたり、管理したり、イベント全般を運営する仕事をしています」

 

また、企業のPR業務を担当。

 

「昨年手がけたのはインテリアショップの広告展開でした。予算の中でできることを提案します。ターゲットを聞き、30~50代の持ち家のあるファミリー層向け、特に公務員に強い冊子の広告展開を提案しました」

 

年契約で決まった仕事だった。

 

広告を出してくれるお客様のために数多くの新聞、雑誌、冊子を読み調べ、ターゲットを考えて提案する。

 

「営業ですが、制作サイドよりです。モノを作るって本当に楽しいです。何もないところから形になって、数字にも表れて、こんなに嬉しいことはないですね」

 

クライアントの期待にいかに応えられるかが勝負。

 

3日でやめた生命保険会社で学んだこともある。

ひとによって態度を変えないということだ。

 

下請け企業にも、お客様にも、同僚にも同じ態度で接すること。

条件だけじゃなく、自分がどんなことをしたいのかをじっくり考えて働くこということの重み。

 

「今の仕事を大事に、成長していけるように頑張ります」

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

昨日、キャッシーと直美ちゃん(彼女もまた大学の教え子)の披露宴だった。

大学3年からの付き合いで、「付き合うことになりました」という報告ももらっていた。

 

 

 

 

25歳。

2年前、付き合うことになった11月22日という日にちにプロポーズし、翌年入籍。

 

 

 

 

たくさんの仲間に祝福され、ふたりとも本当に本当に幸せそうだった。

 

バンド活動しているだけあって、奥さんの直美ちゃんはキーボード演奏し、キャッシーはギターを弾いて披露してくれた。

 

 

 

 

大学の教え子が結婚。

久しぶりに集まった教え子たちは、大人になっていた。

 

仕事もプライベートも充実した1日1日を送ってほしい。

キャッシー、直美ちゃん、結婚おめでとう!!!

妻・母・大学生 林崎貴子さん

   

 

 

であり、であり、北星学園大学短期大学部英文学科に通う林崎貴子さん。

 

 

なんと、私の授業に来ていた教え子のひとり。

 

私が大学院に進学しようかと迷っているときだった。

 

大学卒業から何年も経っている。戸惑いもある。

でも、授業に来ている林崎さんを見ていてちっぽけな悩みに思えた。

 

教え子でもあるけれど、人生の先輩でもあり、たくさんのことを教えてもらった。

妻だって、母だって、何でもできるということを林崎さんから教わった。

 

 

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小・中・高の同級生で、中学校では登下校するほど仲が良かった旦那さんと

10年ぶりにクラス会で再会し、27歳で結婚。

 

小学校6年の娘、かれんちゃんと小学校1年の息子、伸於(のあ)くんのママ。

北星学園大学に入学する前はいたって普通の主婦だった。

 

「毎日が家事、育児であっという間にときが過ぎていきました。娘が4年生の頃、英語を教えてあげるうちに自分でも勉強したい、話せるようになりたいって思うようになったんです」

 

 

本当は大学に行きたかった。

 

 

洋楽を聴いては口ずさみ、英語の授業は1番好きだった。

 

「通訳になりたいって母に言ったことがあったんです。でも、こんな田舎だし、なれないよって言われて。就職したもののやっぱり夢をあきらめきれなかったんです」

 

ママすごい!英語できるの?

かれんちゃんに褒められ、嬉しくなった。

 

小学生の娘と一緒に英語の勉強をすることにした。

 

まずは英単語を覚えるという基本から。

英検準2級、2級と、主婦業をしながら英会話学校に通ったり、努力が実って合格。

 

「もっともっと学びたい~って思うようになったんです。家族に相談しました。主人もやりたいことをやったらいいって、子供たちもママ頑張って!って応援してくれて。嬉しくて感激して泣いてしまいました」

 

理解のある家族のサポートのお陰でその翌日から受験勉強を始めた。

 

日中は家事をし、子供が学校から帰ってきたら夕飯の支度。寝静まった深夜に勉強した。

 

「夜中の3時まで勉強して、7時に起きて朝ごはんを作るという毎日でした。辛くて1度だけかれんの前で泣いてしまったことがあったんです。そうしたら、ママ頑張ってって。やめないで頑張ってって言うんです。背中を押してもらいました」

 

1年半勉強し、入学試験を受けた。

 

「合格発表の日、主人とふたりで大学に合否を確認しに行きました。そうしたら番号があって。もう本当に嬉しくて。横にいた夫を見たら泣いているんです。私を心から応援してくれている主人を見てもらい泣きしてしまいました」

 

 

 

 

社会人合格は自分だけだった。

たくさんのことを犠牲にしてここまできたような気がした。

 

夫のためにも、子供たちのためにも、自分の夢を叶えるために絶対に頑張ると誓った。

 

「背負っているものが大きいので、授業はいつも本気です。1秒もムダにはできません。本当に学ぶことって楽しいですね」

 

 

 

妻であり、ママであり、大学生でもある。

19:00まで授業があるときは夕飯を作れないこともある。

 

「ママ、いいよ。何でもいいんだからねって言ってくれる子供や主人に助けられています」

 

日中子供と話せない分、短い時間に濃い話をしている。

夫との絆も深まった。いつも感謝している。

 

「短大でたくさんの友達ができました。同級生は18歳。恋愛のことも家族のことも将来のことも何でも話してくれるんです。受け入れてくれる友達にありがとうって思いますね」

 

学期末試験を受け、レポート課題も提出し、授業も休むことなく毎日出席している。

アルバイトは英語の先生。

 

「週1回、小学生の子達に英語を教えているんです。かれんも参加しています。私、ここにいるよって、ここに存在しているよって自分に自信が持てるようになりました。今の私はすごく好きです」

 

自分の人生を自分の足で歩くという幸せと自信。

やりたいことが見つかった感動。

 

 

妻だって、母だって、いつだって夢を追いかけられるんだ。

 

 

「将来の夢は、英語を使う仕事をすること。英語の先生も続けていきたいですし、観光客のガイドの資格を取って英語で札幌の魅力を伝えたいです」

 

 

いつでも夢を叶えられる!!

 

 

林崎さんとお話していると母になることや年齢を重ねることが楽しみで仕方がなくなる。

素敵なママに私もなりたい。

ワーキングホリデーという経験 水口翔太くん

ワーキングホリデー(海外留学)から帰ってきたばかりの営業マン 

水口翔太くんを直撃!

 

 

北海学園大学の後輩で、教え子。

 

個性心理学(動物占い)では、ペガサス!

 

趣味は読書。ちなみに辞書や携帯の説明書も読破!

今まで読んだ本の数「ちょっとわからないくらいです。1日1冊以上読んでいたような・・・」

 

妹、千景の同級生で、3年前にこう紹介された。

 

「お姉ちゃん、水口ってひと紹介するから!あのね、すごい頭が良くてキレ者で、ちょっと変わってるんだけど、すっごくいいやつだからよろしく頼むわ」

 

3年前、私が仕事で映画館に向かう途中、ひとりで歩いている彼を見つけた。

 

青山「やっほー!みず、何してるの?」

みず「あ、どうも!これから映画身に行くんスよー」

青山「何の映画?」

みず「もらったんですけど、宗教っぽい、超マイナーな感じのです(笑)」

青山「(苦笑)・・・。見終わったら感想教えて」

 

感想は、何度も何度も同じメロディと歌詞が流れる音楽が印象的で

映画の内容は私がまったくと言っていいほど興味がわかない(わくはずもないような)ものだった。

 

「見終わった後、かなり暗い気持ちになりました!!」と、満面の笑顔で教えてくれた彼。

 

不思議なワールドを持っているみずに話を聞いた。

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

大学4年の5月、ベンチャー企業に内定をもらった。

道産物のネット販売を事業とする会社だった。

 

「1カ月インターンシップで働かせてもらってたんです。お客様からクレームや質問、相談などが来るカスタマーサポートのメール処理を担当していました」

 

社員も社長もみんなとてもよくしてくれた。

仕事内容も悪くなかったし、ベンチャーという魅力も十分わかっていた。

 

だが、内定を辞退する。

 

「今までやる気なんてものはなかったんですけど、就職活動するようになって、すっごくやる気が出てきちゃったんですよね。この会社じゃダメになるって思ってしまって」

 

 

彼が大学3年だった頃。

確かにやる気がある、前へ前へというタイプではなかった。

 

「お金も特に必要だとは思いません。夢とか目標とかも、正直考えたことないです。青山先生は、どうしてそんなにいつも積極的なんですか」

 

と、聞かれたこともあるほどだ。

 

私の授業を受けてくれてはいつもきょとんとしていた。

それが、徐々に変わってきたのは就職活動をするようになってからのこと。

 

「就職活動してみて段々考え方が変わってきたんです。内定をもらった会社にいるとモチベーションが下がりました。働く会社はモチベーションを高められるところがいいと思いました」

 

ひとは周りで変わる。

環境で変わる。

 

 

そして突然、彼は決意する。

 

「英語でまったく話せなかったんですけど、インドで僧侶になる!!と、留学しようと思いました」

 

 

?????

 

へ?

 

 

青山「インド?僧侶?またなんで?」

みず「僧侶になればお経を唱えるだけで生活できるんじゃないかって」

青山「本当にそう思って僧侶になろうと?」

みず「まぁ、ネタになもなるかなーと。修業というものをしてみたかったんですよね」

 

両親は本気にしてくれなかった。

本気だとわかると、もちろん反対した。

 

「知り合いにオーストラリアに行ってみたらどうかって言われたんです。今働かせてもらっている社長なんですけど」

 

株式会社エムアンドジーhttp://www.mgfan.com/の中村社長に背中を押してもらった。

 

「社長に、卒業して海外から帰ってきたら迎えてやるぞって言ってもらえたんです。1年後の入社を約束してくれた中村社長の存在があったので迷いナシに行けました」

 

 

ワーキングホリデーに行くと決まり、資金は自分で稼ぐことにした。

月に3回の休み以外アルバイトを入れた。

 

「テレフォンアポイントの仕事で多い月には45万円稼ぎました」

 

全国2位の営業成績で表彰もされた。歩合給でますます燃えた。

5カ月働き、130万を貯め、オーストラリアに飛んだ。

 

 

 

「リュックサック1個で行きました。2カ月英会話学校に通って資金がなくなったんですよね。すし屋でアルバイトしたり、ズッキーニ農場で働かせてもらったり、ワニ動物園で働いたりもしたんですよ」

 

ヒッチハイクもしてきた。

東から西の果てまでひたすら看板を掲げ乗せてもらう。

 

すごい出会いや、嬉しい出会いを通し、ひとの温かさに触れられた。

 

稼ぐために飛び込み営業もした。

自分を雇ってくださいと、たくさんのひとに頭を下げてきた。

 

「留学して思ったことは、ひとって何でもできるんだなってことです。どうしようもなくなったら必死で働くし、ひとに頼ることも恥ずかしいなんて思わないでできるんですよね。たくさんの方に助けてもらって帰って来れました」

 

今年の1月からインターンシップをやらないか?という中村社長からのあり難い誘いを受け

昨年の年末に帰国した。

 

「2月から正社員として働かせてもらえることになっています。北海道の企業に新卒採用の呼びかけをしたり、合同説明会へ参加などの営業をします」

 

ひとに喜んでもらう仕事がしたい。

それを学べるのがこの会社だと強く思った。

 

たくさんのひとに支えてもらったからこそ今の自分がいる。

恩返しします。と、みずはやる気のある、いい大人の顔で話してくれた。

 

 

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それにしても、奇抜な発想力には驚かされる。

いつものことだけれど。

 

帰国して変わったなと思ったところは「働く」ということがどういうことなのか、身にしみて感じられたようだった。

 

彼は、このワーキングホリデーで「働く」ということを学んできたようだ。

 

青山「ワーホリで大変だったことはなかったの?」

みず「ありますあります!すさまじい経験しましたもん」

青山「なになに、教えてよ」

 

みず「ゲイに声をかけられたんです。めっちゃくちゃ怖かった。ちょっと女の人の気持ちわかった気がします。男の本気の目は怖い・・・」

青山「えーーーーー!好みだったんだね」

 

みず「あとは、砂浜をひたすら5時間歩いて死にそうになったり」

青山「なんでまた歩いたの?」

みず「移動のお金がなかったんで」

 

みず「あ、あとアボリジニーと仲良くなりましたよ!」

 

 

純粋でまっすぐ。後先考えずに動いてしまう。自分でも止められない。

今はとても活き活きしている。

 

いい顔つきになったね。

目標や夢が見つかった元教え子は、すごくいい顔をしていた。

株式会社さくらコミュニティサービス 北村晃久さん

株式会社さくらコミュニティサービス 人材サービス事業部 メインキャスト 

http://www.main-cast.jp/osigoto.php

北村晃久さん

 

 

 

北村さんとの出会いは昨年の夏。

紹介してくださったのは社会保険労務士の村上さん。

http://aoyamashimai.com/blog_yuka/?p=327

 

 

今月中旬から4日連続で「就職応援セミナー」の講師をすることになった。

昨日も北村さんと打ち合わせをしていた。

 

いつも最高の笑顔で迎えてくださり、場を盛り上げてくれて、優しくて

頼りがいがあって、何でもついつい話してしまう、昔からの知り合いだった感じがする方だ。

 

 

「最近、南海キャンディーズの山ちゃんみたいって言われるんですが、あんまり嬉しくないですねー(笑)」

*南海キャンディーズhttp://talent.yahoo.co.jp/talent/21/g06-0054.html

 

北村さんのお仕事は、登録されたスタッフさんと、医療機関や福祉施設をつなぐサポート。

 

「希望される企業さんにご紹介して、面接で合格されて、スタッフさんに喜んでもらえることが1番嬉しい瞬間ですね」

 

ヘルパーさんと向き合う北村さんに話を聞いた。

 

 

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お笑い芸人を目指していた。

コンビ名はシグナル。

幼馴染の3人でコンビを結成。ボケ担当。

 

「3人で何か資格を取ってから上京しようってことになったんです。だったら元々興味のあった介護の専門学校にでも行こうと思いました」

 

他の2人には一切どこに行くか、どんな学校に行くかは伝えていなかった。

 

介護の専門学校に入学し、周りを見てみると、他の2人もいた!

 

「ビックリしましたよー!なんでいるの?って感じで。一切進学先の話をしていなかったのに、偶然また3人で通うことになったんです」

 

専門学校で介護の勉強をするうちに、もっと勉強して必要とされる職場で働いてみたいと思うようになった。

 

「オレ、福祉の方に本気で取り組みたいんだって伝えました。2人もわかってくれました。やり甲斐がある仕事だと思ったんです」

 

コンビを解散。介護の資格を取得し、専門学校を卒業。

苫小牧の病院に勤務することになった。

 

 

 

 

当時、北海道に数少なかった認知症専門の治療病棟に配属が決まり

意思疎通がほとんど取れない患者さんの介護をした。

 

「話せなくても、ぼくの言葉がわからなくても、表情やちょっとした仕草でぼくへのメッセージがわかるんです。患者さんの思いを汲み取れるよう、注意深く表情を見てきました」

 

介護の仕事は数字で表れる仕事ではない。

 

「うちに帰りたい」と泣いたり騒いだりする患者さんを励まし

ジレンマを感じながらも患者さんの家族のように接してきた。

 

「本当に厳しい環境だったんですね。辛いことも多くて。だから3日もてばいいかなって、すぐ辞めるかもしれないなと思っていたんです」

 

想像以上に過酷だった。

でも、いつからか患者さんのことが大好きになり、介護という仕事に心から誇りをもてるようになっていった。

 

「第二の家族になれたことや、仕事をしながら学ばせてもらって、本当に続けてきて、介護に携われて良かったと思っています」

 

 

高齢者の介護、認知症患者さんの介護をしていて涙があふれそうになったことも。

 

「患者さんの中に5分前のことでも忘れてしまう方がいたんです。でも、ぼくの顔だけは覚えていてくれた。気づいてくれるんですよね。間違ったことをしていなかったんだって感動したのを覚えています」

 

頑張ればそのひとの生活の中に入っていける。

思い出のひとつになれる。

 

家族のように思える。

そして患者さんにも家族のように思ってもらえる。

 

 

「亡くなった方を数多く見てきました。すごく仲良くしていたおばあちゃんが亡くなったり、おじいちゃんが亡くなったり、一緒に遊んだ若い子も亡くなるんです。家族のようでしたから本当に悲しいもの。でも、その方の記憶に残れたんじゃないかなって」

 

入院生活は決して楽しいものではない。

1人で何もできないと思っている患者さんも多い。

 

少しでも家のように過ごしてもらえるために、すべてをやってあげるのではなく

1人で生活できるようにサポートするのが仕事だ。

 

「重い病気であっても1人の人生の先輩として一緒に生活していくんです。そうすると少しずつ、本当に少しずつですが1人でできることが増えていきます。それが自信にもなりますからね」

 

苫小牧の病院勤務の後、デイサービスで5年勤務。

ユニット責任者として認められ、介護のプロとして約10年現場にいた。

 

「現場の仕事をわかっているからこそサポートができるんじゃないかって、中元専務に声をかけていただきました。昨年春から人材サービス事業部に配属されました」

 

 

  

 

 

ヘルパー1級、2級を取得されたスタッフさんに施設を紹介したり

紹介できる求人を集めたり、双方に喜ばれる取り組みをしている。

 

「介護の仕事は、ひとのために、相手のためにを考えられるひとじゃなきゃ勤まらないハードな仕事だと思います。生活援助をしてあげることが仕事です。そのひとにとって何が必要かをきちんと見極めることも大切ですね」

 

3Kと言われるほど、厳しい仕事だ。

でも、究極のサービス業ではないだろうか。

 

「厳しいのは当たり前です。その中でどうやり甲斐を見つけられるか、楽しみを見つけるという言葉は軽すぎるかもしれませんが、学べることはとてつもなく大きい。現場のスタッフさんには頑張ってもらいたいです」

 

「ひとの一生」を見てきた北村さんは、すべてを包み込んでくれるような、とっても優しい目をしている。

 

 

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3人の子供をもつパパ。

奥さんとラブラブな様子が、話していて伝わってくる。

 

現場のスタッフから離れても福祉という社会に貢献できるように頑張りたいと話していた。

 

キツいと言われる仕事を乗り越えられる人にしか出せないオーラがあるもの。

北村さんは誰でもすぐにファンにさせられるオーラがある。

 

北村さんのあふれる魅力を、株式会社さくらコミュニティサービスの中元秀昭専務も認めている。

 

中元専務はこう話す。

「ひとが足りていない病院や施設に多くのスタッフを送り込むことが彼の仕事。彼だからできることだと思っています」

 

北村さん

「専務、それはとってもプレッシャーです」

 

「現場スタッフで介護をしていたときに、おばあちゃんにモテモテで、ぼくの取り合いになったこともあったんですよ。いやー、モテてたなぁ。40歳以上の年上の方限定でしたけど(笑)」

 

相手を思いやる心は、いつでもどんなときでも伝わるものだということ。

北村さんには本当に大切なことを教えていただきました。

ありがとうございます!!

また再来週お会いできるのを楽しみにしていますね。

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