夕香のココだけの話


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夕香のココだけの話

‘インタビュー’ カテゴリーのアーカイブ

幸健美歯科クリニックマネージャー 佐藤真弓さん

 

 

幸健美歯科クリニックのマネージャーで、ハッピースマイルデンタルコーチの佐藤真弓さん。

http://www.koukenbi.com/

 

4年前に、ソニー生命の山影さんhttp://aoyamashimai.com/blog_yuka/?p=141にご紹介いただいてからのお付き合いです。

 

幸健美歯科クリニックの佐藤院長に、前歯をキレイに治していただきました。

 

 

 

 

佐藤院長に審美治療をしていただいたお陰でスマイルラインに自信が持て、ニッコリ笑顔でいつでも笑えるようになったんです。

 

初めてお会いする方に「青山さん、歯がキレイですね!真っ白ですね」と言われることも多く、見ている人って結構いるんだなと思います。

 

 

佐藤院長には、スポーツニッポン新聞で取材させていただいたり、キレイセミナーで協賛をいただき真弓さんには講師をお願いしたりもしました。

 

 

 

 

今月の毎日新聞発行フリーペーパーのおしゃべりBOXではコラムも載っています。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

札幌市中央区北2条西3丁目札幌フコク生命駅前通りビル9階にある「幸健美歯科クリニック」

 

真弓さんは、開業当時からマネージャーとして関わってきた。

 

 

「財務や事務、受付の仕事をしてきました。院長と私と衛生士の3人でスタートしたんです。白衣の準備など細かなこともすべてやってきましたね」

 

 

保険適用外のクリニックは夢があると思った。

 

院長でもあり、ご主人でもある佐藤院長が活き活きと、楽しく働けるのであれば、開業してみたら?と、後押しもできた。

 

 

「今まで専業主婦だったんです。娘と息子二人の母親として毎日子育て中心に生活してきたので、最初は戸惑ったりもしました」

 

 

 

 

子供が生まれる前まで国際プラザで通訳ボランティアをしていた。

 

海外から学会に来られたご家族の観光案内や、講師の通訳、子供向け英語教室の先生としても活動してきた。

 

 

「通訳とは言ってもそんな大したことはないんです。ボランティアですから。英語がとても好きだったので、活かせる仕事ができて楽しかったですね」

 

 

佐藤院長と出会い結婚し、2人の子供にも恵まれた。

 

ご主人の仕事のサポートをすることになり、軌道に乗ったらまた専業主婦に戻ろうと思って5年が過ぎた。

 

 

「開業当時は誰にも知られていませんでしたからホームページやパンフレット制作などの広報活動を中心に動いていました。医療機関だからバンバンおおっぴろげに広告宣伝もできないんです。だから気を使ってきました」

 

 

 

 

「フリーペーパーに広告を載せてみたり、高齢の方向けの雑誌にも掲載したり、どういったキャッチフレーズだったら注目されるかなとか、縁もコネもネットワークもない中でやってきました」

 

 

3年ほど前からマーケティング講座にも通うようになった。

マーケティングという言葉も初めて知った。

 

インターネットで見つけたセミナーや講座、集会に出ては名刺交換をして仲間作りに励み、ビジネスに関わる勉強に毎日忙しく動いてきた。

 

 

「異業種交流会にも積極的に出席しました。たくさんの方と知り合い、知人ゼロから220人の仲間ができました。常に連絡を撮っているお友達は20人ほど。少しずつクリニックのことをわかっていただきました」

 

 

セミナーなどで習ったことをクリニックに活かしてきた。

 

仲間の紹介にも助けられた。

 

徹底的に勉強し、マーケティングのこと、ビジネスのこと、接客マナーのこと、すべてクリニック作りに活かしてきた。

 

 

「青山さんにもスタッフ研修をしてもらいましたよね。わからないことだらけでしたから、本当に助かりました。電話応対や受付応対をきちんと身につけ、患者さんからも安心されると言われます」

 

 

 

 

すべては自ら動いて勉強して、積極的にコミュニケーションを取り仲間を増やし、そうして口コミで広がって患者様の獲得につながっている。

 

北海道日本ハムファイターズの選手も長年通ってきてくれている方もいるほどだ。

 

 

 

 

 

 

「主人の手伝いという枠を超えて、クリニックのプロデューサーとしての立場で仕事をしていかなければいけないと思いました。仕掛けていかなければいけません。5年携わり、心構えや考え方が大きく変わりました」

 

 

専業主婦に戻らず、軌道に乗ってもプロデューサーとして動いていくことに決めた。

 

 

「人に何を聴いていいかもわからなかった5年前。知人いなくて相談もできなくて、何もかもゼロからのスタートでしたが、仲間も知識も、ビジネススキルも、動けば何とかなるものなんだなということを知りました」

 

 

クリニックマネージャーだけでなく、カラーセラピストの資格を活かし、空いている時間に生徒を持って資格取得講師として指導している。

 

コーチングの勉強も続け、クライアントも少しずつ増えてきた。

 

マネージャーとして歯への気配りも忘れない。マウスピースを使い、正しい噛み合わせになるよういつも調整している。

 

 

「院長と結婚して歯を見てもらうようになってから、肩こり、腰痛が治ったんですね。歯って体にとってすごく大事なんだなって言うことがわかりました」

 

 

第一印象は表情で決まる。

特に、笑顔から見える白い歯であるかどうかはサービス業に携わっている人にとってはものすごく重要。

 

 

「お金がものすごくかかるんじゃないだろうかって心配もあると思います。前歯の何本かだけでも変えるだけで印象が驚くほど違ってきます。カウンセリングには院長が丁寧にお応えし、無調診断もします。お気軽に来院ください」

 

 

私も前歯6本を治療してもらった。

見違えるくらい歯に自信が持てるようになったし、写真映りも以前と全然違う。

 

 

佐藤院長は素晴らしい先生です!

歯にちょっとでも気になるところや、自信が持てないという方は、試しにカウンセリングだけでも受けてみてください。

 

おすすめのクリニックですよ!!

2009年度ミスツインクル 松浦美里ちゃん

 

 

2009年度ミスツインクル(JR北海道函館地区)に合格し、1年間活動することになった松浦美里ちゃん。

 

美里ちゃんとの出会いは昨年末。

 

この、ホームページからのお問い合わせがきっかけだった。

 

 

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北海道大学を卒業し、現在北海道大学大学院水産科学院に通っている。

 

岩手県生まれ。

 

食品の勉強がしたいと、進路担当の先生のすすめで北海道大学入学を目指した。

 

水産学部専攻だったため、大学2年から函館校舎で学んできた。

 

 

「北海道に来られてすごく良かったって思いました!食べ物がおいしいし、みなさん温かい方で、大好きです」

 

 

 

 

ミスツインクルに応募しようと思ったきっかけは、とにかく今の自分を少しでも変えたいと思ったから。

 

 

「大学では、実験の毎日で、人と会話するという機会がすごく少なかったんです。もう少し社交的になりたい。お世話になった函館に何か恩返しが出来ることはないかと思いました」

 

 

函館の人に元気を与えられることがしたい。

 

人がステキな街、函館をの魅力をもっともっと伝えたい。そのときに目に留まったのがミスツインクルの募集要項だった。

 

挑戦してみようと思った。

 

 

「でも、絶対にムリだと思っていたんです。皆さんキレイだし、オシャレだし。私はスピーチも上手じゃないし、顔だってコンプレックスだらけで。これといった特技も見つかりません。今の自分にできることは何かって思って、青山先生のホームページにたどり着きました」

 

 

ブログを読んでくれたようだった。そこで、挑戦することの大切さを感じた。

 

 

「今しかできないことだし、やるだけのことはやってみようって思いました」

 

 

函館から札幌まで通いに来てくれ、1日ミスコンテストのための勉強をした。

 

あいさつの仕方や、マナー、立ち居振る舞い、自己紹介の仕方、メイクに当日のスーツ選び方まで、一所懸命ノートにメモをしていたのが印象的だった。

 

 

「自己投資は惜しまないぞって思っていたんです。青山先生から言われたようにオシャレということに興味がなかったのですが、すすめていただいた本をすぐに書店で購入し研究しました。今はすごくオシャレが楽しいし、メイクも楽しいです!」

 

 

笑顔の勉強もした。ひきつっていた笑顔が練習していくうちにどんどんよくなってきた。

 

美人でなくてもいいんだ。

内面から何となく伝わる華や素朴さ、女性としての魅力が伝わるように自分らしく頑張ろう。

 

 

JR北海道の魅力を徹底的に調べた。志望動機、自己PRに全力投球した。

 

久しぶりに勉強した気がした。ものすごくわくわくもした。自分なりに勉強したからこそどんな質問にも答えられた。

 

 

「審査委員の方からJR北海道の問題点があれば教えてくださいと言われたんです。必死で見つけてきましたから答えることができました。ローカル線の駅員さんですが、切符を切るときにもう少し優しい笑顔があってもいいと思います。そうすればもっと気持ちよく利用できると思うからですと、言いました」

 

 

これは、実際にローカル線を利用し、研究した成果だった。

 

審査員は「そうだね」と、共感してくれた。「これからも問題点があったら教えてください」とまで言われた。

 

 

2009年度ミスツインクルとして合格者の中に自分の名前が呼ばれた瞬間は、ワケがわからなかった。

 

 

 

 

新聞にも取り上げられた。

それでも、1週間はとまどっていた。信じられなかった。そしてじわじわと実感でき、嬉しさがこみ上げてきた。

 

 

「たすきの重みを実感しました。両親もすごく喜んでくれました。受かるなんて思っても、思われてもいなかったので、すごく嬉しかったです!」

 

 

美里ちゃんは、すごく謙虚だ。

 

講座中も自分に自信はないけれど、できる限りの努力をしてみますと、すごくいい表情で函館に戻っていったのを思い出す。

 

 

「自分には華なんてないし、何のとりえもない。でも、挑戦しようと思えたことと、JR北海道の勉強はものすごく頑張ったと思います」

 

 

 

 

「私は、ミスツインクルに挑戦できてすごく変われたと思います。挑戦しないと何も始まらないんだと思いました。例え落ちたとしても挑戦できて良かったと思えたはずです。自分をようやく認めてあげられるようになりました。前より自信が持てるようになりました」

 

 

努力してきたことを忘れずに頑張りたい・・・。そう言って美里ちゃんのインタビューは終わった。

 

 

素直で、思いやりがあって、謙虚で。勉強家で一所懸命で。たくさんいいところがある美里ちゃん。

 

本当に合格おめでとう!!

 

 

夢である食品会社に就職して研究職に就いて、安全な食品を全国の人たちに届けてね!

フリーキャスター 伊藤絢さん

 

 

テレビキャスターの経験を持つフリーアナウンサー伊藤絢さん。

 

6年ほどのお付き合いになるのだけれど

最初見たときあまりにもキレイで思わず同性なのに見とれてしまったほど。

 

 

オシャレが大好きで、美意識に対する関心は本人いわく「執念」と言うくらい。

 

 

ジェルネイルまでどんなネイルも自分で仕上げている。

また、エクステまつげも自身で。

 

基礎化粧品へのこだわりから、6月に「キレイセミナー」(ミティーク化粧品プレゼンツ・おしゃべりBOX後援)でトータルビューティーアドバイザーとして講演もすることが決まった。

 

絢さん、ありがとう。引き受けてくれて!!

 

 

私と同じように一度も就職せず、夢に向かって走り続けてきた絢さんに、お話を聞いた。

 

 

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短大卒業後、アナウンス学院に通うことになった。

 

「就職活動なんて本当に一度もしたことがなかったの。というより、まったく就職するということを考えなかったんだよね。でも、昔からなりたかったアナウンサーの夢はずっとどこかにあったんだと思う」

 

 

中学・高校は放送局の局長をつとめ、お昼の放送では毎日アナウンサーをしていた。

 

アナウンサーに挑戦してみよう。

そう思って目に留まったのがアナウンス学院だった。

 

 

「アナウンサーの世界のことを何も知らなかったのね。だから、どうすればレポーターができるのか、どうすればテレビでしゃべることができるのかを知りたくて通うことに決めたの」

 

基礎練習、発声練習、ブライダル、イベントなどあらゆるアナウンス方法を2年かけて学んだ。

 

 

「一緒に学んでいた仲間が30人くらいいたんだけれど、プロとして今でも活動しているのは私を入れて3人。厳しい世界。花が開くまで待つ根気があるかないか。5年以上花が開かないままのひとも大勢いるから」

 

 

2年勉強し、プロテストを受けて合格。

MCとして大手アナウンス事務所に所属することが決まった。

 

 

「誰もいない会場でアナウンスをしたこともあったし、地方のお祭りイベントの仕事も多くしてきて、下積み時代も長かった。何をしているだろうって思うこともあったりね。お金だって本当に少なかったし」

 

プライドがあった。

だから、すごく悔しい仕事もたくさんあった。

むなしい思いもした。

 

 

やりたくない仕事も、断ってしまいたくなる仕事も多くあったけれど、それでも、絶対に引き受けてやってきた。

 

 

そんな中、当時の外務大臣が来札。セミナーの司会がまわってきた。

 

それから少しずつ少しずつ大きな仕事ができるようになり、プロとしてデビューしてから2年目で大チャンスが訪れた。

 

 

 

 

「JR北海道のインフォメーションに合格して、テレビに出て話すという夢が叶ったの。STVラジオとNHKのラジオ、UHBとNHKにはテレビで情報を伝えるという仕事をして、本当に素晴らしい仲間との出会いもあったよ」

 

 

社内ビデオのレポータもさせてもらえることになった。レポータデビューだ。

また、会社で働くということも初めて経験したことだった。

 

 

「契約社員になるので、平日と土曜日がシフト制で新聞を切り抜いたり、ニュースを調べたり、書類整理や清掃などの仕事もした」

 

 

インフォメーションの仕事の合間に旭川でブライダルMCとしてもデビューできた。

 

実は、絢さんを誘って一緒にやらないかと声をかけてのは私だった。

2人で旭川まで一緒に行って勉強したことを懐かしく思う。

 

 

「仕事が順調になって、さて、これから!というときに、今の主人が大阪に転勤することになって、付いてきてくれって。すごく恨んだ(笑)ひとりで行ってきてって言っちゃったくらい」

 

 

当時彼だった今の旦那さんは、スポーツ整形外科の医師。

彼に付いて行くことになったが、納得いかないまま大阪に着いた。

 

 

大阪に来ても仲間もいない。知り合いすらいない。

仕事もゼロになった。

 

 

そして、彼にこう言われた。

 

「なんで自分で事務所を探したりしないの?インターネットで探せばいくらでも見つかるでしょ?やりたいことは自分の手で叶えていかないとダメだんだ。チャンスだと思って見付けてごらんよ」

 

 

いつも彼のことばでハッと気づかされる。

だから彼に付いてきたんだと思った。そして言うとおりに動いてみた。

 

 

ナレコン事務所2カ所に登録し、少しずつ少しずつ仕事が入ってくるようになった。

 

そんな中で大阪ビジネスショーのナレコン最中、大きなミスをしてしまった。

膨大な原稿を丸暗記したが、頭の中が真っ白になった。言葉が出てこなくなった。

 

 

そして、クビになった。

 

 

 

「すごくすごく努力したのに覚え切れなかった。北海道ではナレコンなんてなかなかないじゃない。すごいひとはタウンページくらいの原稿でもあっという間に覚えちゃう。悔しくて悲しくて。でもやっぱり話したいっていう気持ちは変わらなかったの」

 

 

 

ナレコンの仕事はこなくなったが、カネボウのイベントの司会が入ってきた。

カネボウのCMに出ている女優たちが一同に会場に集まった。

一際輝いていたのは藤原紀香さんだったという。

 

 

ナレコン事務所をやめ、メディアに強いといわれる事務所に面接に行った。

合格し、登録させてもらえることになった。

 

 

元局アナや、超有名タレントも数多く在籍する事務所だった。

 

気が滅入りそうになりながらも、チャンスがくるのをとにかく待った。

 

 

大阪に来て2年目。

念願だったテレビキャスターという大きな大きな仕事が決まった。

 

 

「オーディション100回くらい受けてきたと思うけど、すべて落ちてきた。いつもオーディションや面接でダメで。面接で落ち続けることで何がダメでどうしたらいいのかってことがわかるようになって。だからキャスターのオーディションで合格できたんだと思う」

 

 

 

・テレビ和歌山「きのくに21」キャスター

 

・高槻ケーブルネットワーク「おはようTCN」「街かどホットライン」キャスター

 

・J-COM関西「Home Town」キャスター

 

 

 

なんと、4つの番組キャスターのレギュラーに合格!自分で原稿を作り、取材にも行き、時間配分までこなしてきた。

 

 

「JRの仕事がすごく役立ったの。レギュラー4本、準レギュラー最大のときは4本抱えて、毎日毎日本当に忙しくできていたのね」

 

 

大阪が大好きになり、大阪の魅力もわかって、仕事も順調で楽しくなってきた頃、札幌に戻ることになったと彼から言われる。

 

 

「また、あなたひとりで戻ってって言ったの。もう、いつもすごくいいときに離れるなんて・・・。そして、彼から突然のプロポーズ」

 

 

 

 

実は、結婚願望はまったくなかった。わざわざ結婚しなくたって、ずっと一緒に居られるならいいと思っていた。

 

6年ほど付き合ってきて彼以上のひとはいないと確信し、結婚することに決めた。

 

 

「お料理も全然作らなかったし、興味もなかったんだけど、彼が褒め上手で。気づいたら料理好きになっていて。料理教室にまで通って作るようになっちゃった(笑)」

 

 

 

 

 

 

大阪ではグルメレポーターもたくさんできた。

川に入ったり、山にも登ったり、素晴らしい多くの経験を大阪で積んだ。

 

 

友達もたくさんできて、最後の仕事の日は、自然に涙がこぼれてきた。

 

 

「夢を叶えられたのは大阪に行ってから。そして、いつも背中を押してくれるのは主人。積極的に自分から動けない私をぐいぐい誘って連れて行ってくれる夕香ちゃんにも感謝しています」

 

 

今は、札幌で、HBCラジオで月に何度かショッピングコーナーで話し、ブライダルMCとして活躍している。

 

トークショーやイベントのMCとしても仕事が入ってくるようになった。

 

 

「何でも、いつでもチャンスなんだよね。自分でプラスに変えていけばいいんだなって思ったよ。札幌でまた頑張る!ビューティーアドバイザーとして講演が決まったから、もっと勉強してみるね!」

 

 

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6月4日「キレイセミナー」開催です!

場所は、厚生年金会館1階。

 

詳しくは来月発行されるおしゃべりBOXをご覧ください!

 

ミティーク化粧品主催、おしゃべりBOX後援。

 

キレイセミナーでは3人のステキな女性講師が登場!

司会進行は青山千景。

 

ワンコインセミナーもあります!夕飯つき、ワンドリンクつきで入場料2.500円ですが、おしゃべりBOXを持ってくれた方は2.000円に。

 

総合プロデュースは、私、青山夕香!

裏方ですが、CDデビューイベントを兼ねて数曲歌います。

 

 

是非遊びに来てくださいね!!

視覚障害を乗り越え語学研修へ 安達朗子ちゃん

視覚障害を乗り越え、北星学園大学短期大学部英文学科に入学し

語学研修という夢も実現した 安達朗子ちゃん(24歳)

 

 

 

 

教え子の一人。授業後1通の手紙をもらった。

それを読んで涙が出てきて止まらなかった。

 

こんなに一生懸命生きる努力をしてきたなんて

こんなに一生懸命目標に向かって頑張っているなんて

 

大きな大きな衝撃を受けた。

 

安達さんから教えてもらったことはたくさんある。

 

生きるということ。

努力するということ。

不可能はないのだということ。

 

安達さんの話から何かひとつでも感じ取っていただければと思う。

 

 

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青山先生へ

 

いつもたくさんの配慮をありがとうございます。

先生の授業もわずかになり、どうしても伝えたいことがあって、手紙を書きました。

 

先生の授業では、いつもコミュニケーションを越えた人生観という広い分野を学ぶことができ大変感動しています。

 

先生がおっしゃる言葉には経験と困難を乗り越えてきた事実、たくさんの人と関わり続けてきた優しさあふれる思いやりが含まれているのを感じます。

 

私ごとになりますが、私の目が不自由になったのは当時15歳、高校1年の夏からです。

 

 

――――――――――

 

 

友達と遊んでいた帰り道、家の近くの道路を、もちろん青信号で渡っていた。

 

乱暴な運転をする車が猛スピードで突進してきた。

青信号なんて関係ないかのように・・・。

 

運転していた男は、暴走族の先頭隊長だった。

安達さんは車にはねられ、2~3m宙に浮いたと言う。

 

周りのひとは全員が「もうダメだ・・・」と思ったと話す。

ひき逃げされたニュースは大々的に流れるほどの大事故だった。

 

 

――――――――――

 

 

体中骨折、脳挫傷、肺、腎臓などに血がたまり、重症でした。

 

肋骨の骨折で首が座りません。

目玉は飛び出していました。

 

顔も誰かわからないくらいに腫れ上がっていました。

 

その中で、奇跡的に命は助かりました。

 

あらゆるところを管につながれ、長い間、意識がもうろうとしていました。

そのときはまだ目は見えていました。

 

 

――――――――――

 

 

あるとき、ものが二重に見えた。

テレビの電源が突然パチンと消えたように、目の前が真っ暗になった。

 

 

「ママ、暗いよー!電気つけて!カーテンあけて。今は夜なの?暗い。暗いよ」

 

 

何も見えなかった。

 

 

母は

「朗子、落ち着きなさい。絶対に治る!信じなさい」

と、手を強く握り、何度も何度も語りかけてくれた。

 

また、父は

「目が見えなくなったことには意味がある。苦しみは乗り越えられるためにある。使命があって生まれてきたんだ」

と、教えてくれた。

 

何も見えない。

光がない。

 

そんな中でも両親の強い励ましで「絶対に治してみせるんだ!」という信念に変わった。

 

 

――――――――――

 

 

そこから私の戦いは始まりました。

 

目が見えなくなったと同時にモノが飲み込めなくなりました。

 

少しでも飲もうとすると窒息してしまうのではないかと思うほどの激痛でした。

 

激痛、闇、不安。

 

孤独感が押し寄せてくる夜には声を出すことで生きていることを確認していました。

 

生きているのか、死んでいるのかもわかりません。

昼なのか夜なのかもわかりません。

 

毎朝母が病院に来てくれて手を握ってくれるのを心待ちにしていました。

 

 

1カ月後です。

 

 

看護師さんが夜、電気をつけてくれた日に目を覆うほどの大きな光を感じました。

 

そのときの喜びは一生忘れることはありません。

 

眼科医の先生には「信じられない・・・。視神経がよみがえった!」と、言われました。

 

 

――――――――――

 

 

 

 

医師から「視神経がよみがえることはありません」と言われていた。

 

それでも両親は絶対に治ると信じていた。

それが安達さんにも伝わり「治るんだ!治してやるんだ」という確信になっていた。

 

 

「光ったーーーーー!!今、光を感じたの!光ったのーーーーー」

 

 

車椅子に座ったときは驚くような激痛だった。

それでも、辛いリハビリにも耐え、たくさんの治療を乗り越え

寝たきりだった状態から歩けるまでになった。

 

盲導犬協会の存在を知り、生活の訓練をさせてもらえることになった。

洗濯や、料理の訓練もした。

 

ほとんど見えない。

指を切ってしまうことや、せっかく作ってもお皿にうまく盛り付けられないこともあった。

 

それでも両親は、黙って見ていてくれた。

ケガをしても、フライパンの中に火がついてしまっても、料理がテーブルにこぼれても

ずっと見守っていてくれた。

 

 

「これから必ず必要になってくることだから。失敗して学びなさい」と。

 

 

慰められることや、同情されることは一度もなかった。

いつもいつも笑いのある明るい話題が向けられた。

 

 

今の安達さんは、一人暮らしだ。

家事も炊事もすべてひとりでやる。

 

料理も大好きで、ある程度のものは簡単に作ってしまう。

 

包丁の使い方も私以上に上手だ。

 

 

5年間のブランクを経て、20歳のときに北海道高等盲学校に入学。

制服を着てもう一度高校生をすることに若干の抵抗はあったが、入学して衝撃を受けた。

 

 

「生まれながらに目がまったく見えないひとが遠方からが項にひとりで通ってきているんです。廊下を歩くとき、私でも気を抜いたらぶつかってしまうのに、まっすぐ歩いて曲がり角もきちんと曲がって歩いて行くんです。本当にびっくりしました」

 

クラスメイトたちから努力をするということと、自分に負けないという力を教わった。

 

 

――――――――――

 

 

恩師に出会ったことで視覚障害者が最も困難とされる大学進学を目指すことができました。

 

ですが、私の目は見えているわけではありません。

 

右の視力は明るさが感じられる程度。

左目は、色はなく視野は0%。

 

針の穴からわずかに感じられる最低限の視力で文字を認識します。

 

拡大器を使って勉強してきましたが、教科書1ページ読み終えるのに1時間かかるときもあります。

 

事故の後遺症で両手の感覚は完治せず、点字をすることはできませんでした。

 

わずかな視力ですから、夕食と入浴以外はすべて勉強する時間にあてました。

 

 

――――――――――

 

 

あきらめなかった。

勉強できることを幸せに感じられた。

 

英語検定や漢字検定に次々と合格。

中高でトップクラスの成績だった英語を活かしたいという思いで大学進学を目指した。

 

 

英語のレベルが高いと評判の、北星学園大学短期大学部英文学科に合格。

 

 

 

 

子供の頃から夢だった語学研修(留学)も実現できた。

 

 

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結局一度も、暴走族から謝られることはありませんでした。

暴走族の両親の第一声は「うちにはお金なんてありませんから」でした。

 

お見舞いには来てくれましたが、持ってきたものはスポーツドリンク2本。

サンバイザーをかけて、手はポケットに突っ込んだまま。

 

 

それでも私は目が不自由になったことを一度も不幸に思ったことはありません。

 

どんな困難にも負けず乗り越えていける強い心を得ることができたからです。

 

 

目の代わりに人の声を聞き、心で語り、自然の匂いを感じ、ひとの温かさに触れ、私は何でもできる自由な人生へと転換することができたからです。

 

 

目が見えなくなってからは、昔の自分じゃないみたいに頑張れました。

何をするときも希望を持てるようになりました。

 

突然目が見えなくなって「死にたい」と言うひとも少なくありません。

心底悲しんでいる人はたくさんいます。

 

 

私の使命は、かつて障害者が叶えられなかったことをすべて叶えることです。

 

誰にでも「無限の可能性」があるということを私の姿そのもので証明していきたいと思っています。

 

 

事故からの9年間を誇りに思います。

 

 

 

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手紙を読み終えた私は、安達さんに手紙を書きました。

 

教師としてではなく、ひとりの人間としてです。

もちろん精一杯の手書きで思いを書いて渡しました。

 

担当の授業が終わって、安達さんが留学から帰国してふたりきりで会えることができました。

 

なんて強くてキラキラしているひとなんだろうと思いました。

 

話を聞いていて、我慢しましたが、涙がこぼれてこぼれて、話がまともに出来ないくらいでした。

 

たくさんの感情が込み上げてきました。

自分のことを振り返り、反省もしました。

 

私は今、安達さんのように一生懸命頑張っているだろうか。

できることを後まわしにして逃げていないだろうか。

 

安達さんから「不可能はない。可能にする力をみんな持っているんです」

というとてつもないメッセージをもらった。

 

私にくれた手紙。私に思いを伝えてくれたことを、教師としても、1人のひととしても

誇りに思います。

 

ありがとう安達さん!!

これからも安達さんの手紙を読んで一生懸命頑張るよ。

私も負けないように精一杯頑張るからね。

ローソンスーパーバイザー 川端由里子ちゃん

株式会社ローソン スーパーバイザーとして活躍している

川端由里子ちゃん。

 

 

 

 

藤女子短期大学国文科の同級生。

卒業して10年経った今も大事な友達だ。

 

努力家の由里子は、短大卒業後、北海道大学に編入した。

偶然同じ時期に結婚し、偶然新居は同じ住所だった(枝番号までも一緒でビックリ)。

 

徒歩30秒のところにいるなんて、「どこにいるの?」という質問で初めてわかったこと。

短大や大学の入学試験でも会ったことはなかったのに、なぜだか由里子だけ覚えていた。

 

由里子にも言われた。

「夕香ちゃん、入試のときから知っていたよ」と。

 

不思議な縁がある。

何度も本気でぶつかって大きな喧嘩もした。

4年くらい口を聞かないこともあった。

 

でも、これほどまで真剣にぶつかっていけるのはたったひとり。

 

大事な大事な、尊敬のできる親友のひとりを紹介したい。

 

 

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「写真撮るの?本当にイヤなんだけど。勘弁してよー。ヤダヤダ。ホントに」

 

 

由里子が携帯を触っている間に1枚。

四六時中何をしていても会社から連絡が入る。

だから、携帯電話は絶対に近くに置いておく。

 

 

「ごめん!ちょっと話してくる」

飲みに行っている時も仕事の電話が入ったらすぐに出て対応する。

仕事人とは、彼女のことを言うのかもしれない。

 

「藤短大を卒業して2年間はフリーターしていたのね。デパートで事務をしたり、JRAで仕事をしたり。働くということをきちんと考えないまま卒業しちゃったから、宙に浮いた感じだった」

 

 

就職活動なんてしてこなかった。

両親からも働けというプレッシャーはなかった。

フリーターもいいかもと思った。

 

 

「なんだか急に将来が不安になってきちゃって。私って何者?何なの?って。新卒でもないし、中途採用でもスキルはない。キャリアだってない。夕香ちゃんだって編入したよね?勉強し直そうかなって思ったんだ」

 

 

勉強は嫌いじゃなかった。

形になるものを残そうと思った。

今時2年くらい大学を遅く卒業したとしても悪くないと思った。

 

 

「落ちたら恥ずかしいから誰にも言えなかった。やっぱりちょっとプライドもあったんだよね。土日のアルバイト以外毎日勉強。13時間が集中力の限界だってこともわかった」

 

勉強しているときは意味のある時間を過ごしていると思えた。

必死に勉強している自分も嫌いじゃなかった。

目標があるから頑張れた。

 

 

北海道大学しか目に入っていなかった。

 

 

「短大を卒業して1年目にも編入試験は受けたんだけど、手ごたえなんて全然なかったのね。ダメだってすぐわかった。でも、2年目はすっごく手ごたえを感じられたの」

 

 

それもそのはず。編入試験にトップの成績で合格したんだから。

1番だなんてなかなか取れない。

すごいよ!由里子。

 

 

でも、あのときの私は素直に「おめでとう!」なんて言えなかったな・・・。

追い越されたようで、頑張った由里子にきちんと向き合えなかったよ。 

 

 

北海道大学文学部人文学科 編入試験 合格。

 

 

もうこれ以上勉強できないと思うくらい勉強した。

その努力が実を結んだ。

 

 

「初めはマスコミに興味があって。特に活字が好きだったから、新聞社に入りたかったんだ。商品としてすごく価値あるものだと思うし。激動の社会に立ち会える喜びもあるだろうって」

 

仕事=生活費を稼ぐため ではなく、自己欲求を達成するものだと思っていた。

 

マスコミの予備校にも通った。

そうして気づいた。

 

 

「興味を持っている分野が何もなかった。スポーツも、社会情勢も、生活全般においても、特にこれって言える分野が出てこなかった」

 

実はそんなに興味なんてなかったんだということを、専門的に勉強して思い知らされた。

 

振り返って反省した。

専門分野を見つけようと思った。

流通の分野でキャリアを積んで、自分のキャリアを作っていくことに決める。

 

 

 

株式会社ローソンから内定をもらう。

 

 

 

 

学科仲間の誰よりも早い内定だった。

迷わず決めた。

 

 

「入社して5年。結婚して心の安定もあるから仕事にも打ち込める。尊敬できるローソン経営しているオーナーにも出会ったし、仕事にもすごく恵まれていると思うよ」

 

 

スーパーバイザー(SV)という仕事は、ローソン経営をしているオーナーに価値のある指示を出すということ。

 

基幹職種。全国の女性社員の中で30人もいない。

経営者のアドバイザーだ。

 

 

「流通、消費、経済がすごく近くに感じられる。親世代のオーナーと接し、アドバイスをしなきゃいけない。店舗経営に関するアドバイスをすることが仕事。勝負できる商品を伝えたり、経営全般について言わなきゃいけない」

 

 

ベテランオーナーに言うときは大変だ。

こんな小娘にアドバイスされてイヤだろうとも思ってしまう。

 

 

「最初は受け入れてくれないオーナーもいるよ。全く言うことを聞いてくれなかったオーナーが、なかなか鋭い意見だなって聞き入れてくるようになったときは本当にホっとする。認められるためにはひたすら勉強」

 

 

経営アドバイスをするということがSVの仕事なのだから、割り切って伝えるしかない。

ベテランオーナーを上回る知識や情報を得るためにひたすら勉強するのみ。

 

 

 

 

立地条件によって売れる商品が全然違う。

同じ傘であっても円山地区と札幌駅ではガラっと変わってくる。

 

 

「マーケティングの仕事って教科書に答えなんて載ってないから本当に本当に難しいって思う。そのときどきで違ってくるし、立地条件も、お店の大きさも、季節によっても違ってくる」

 

 

8店舗のアドバイザーとして毎日足を運ぶ。

いつどこにいても対応できるように携帯は肌身離さず持つ。

いつ呼び出されても駆けつけられるようにもしている。

 

 

「仕事をしてみてわかったことは、健康、お金、愛情などのバランスがすごく大事だって思う。お金だけでもダメだし、時間がありすぎるのもダメ。何事もバランスだね」

 

 

 

由里子は、自己プロデュース力がある。

自分に何が必要で、何に向いているのかといった自己分析力がある。

 

いつも冷静に論理的にものごとを考えるという

そこを、私は見習いたいと思う。

 

 

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由里子へ。

めっちゃくちゃ格好いいよ。

 

店舗経営のアドバイスなんて想像つかないけど、すごく勉強しているのが伝わってくる。

私も負けてられないなって焦ってくるよ。

 

私の自慢は、ドキドキするくらい魅力的なイイ女友達が周りにいることなんだ。

由里子ももちろんそのひとりなんだけど。

 

マーケティングの話、今度はもっと詳しく聞かせてね。

私もそれまでにちょこっと勉強しておくからさ!

 

出会って12年だよ。早いね!

これからもどうぞよろしく♪

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